歯科技工専門学校の失望から失踪まで。

-10年間続く悪夢のすべては、この2年間のできごとだった-

 

あれ?間違えたかな・・・」と思ったのが入学式。そこから失望に変わるまで一月かからず、最後には全てを投げ捨てて失踪へ。それほどに僕の専門時代はひどいものでした。 僕は高校を卒業後、歯科技工専門学校へ進学しました。 大した理由はありません。ただ「親が勧めたから」でした。 なぜ母が勧めたのかといえば、昔は儲かる職業だったからです。

 

楽観的すぎた考え。


アクセサリーへの思い

もちろん高校でアクセサリーに注力していましたから、将来的にアクセサリー分野に関わりたいという想いはありました。しかし、それは『儲かる仕事をしながら、片手間にアクセサリーの仕事もしよう』という漠然とした想いだったのです。 いま思い返してみますと、圧倒的に想像力が貧弱でした。

ゼロだった危機意識と腐っていた歯科業界

どこから軌道修正をするにしても問題は想像力です。リスクを分かっていれば、大抵の問題はクリアできたと思います。 まず、歯科技工業界は死んでいました。死んでいる業界とは、長時間労働、低賃金、さらに国家資格が必要で、加えて、これから良くなっていく気配がない業界です。 最悪ですね。 その可能性を想像できなかった。 ちょっとネットで検索すれば、悪いウワサはいくらでも出てきます。

当時流行っていたのは、SNSの先駆け「ミクシィ」ですが、そこには「技工士の夫をもつ妻の会」なんてコミュニティがありました。 もちろん話題は想像できるでしょう。分かりやすく言えば「漫画家やバンドマンの嫁」に感覚が近い。 安月給で希望が薄い男を「デビュー」まで支える様は、技工士でいうなら「技工所の独立」まで支える妻に近いものがあります。

それでも学生のうちは楽しい?

しかしまあ、地獄を見るのは就職後の話ですから、たちまち失望することでもありません。介護やプログラマの学校なんて、在学中は楽しくワイワイやって就職後に苦しむ典型だと、偏見も手伝い思っていますが(あるいは無計画な大学生の末路も)

いや違った。

しかしながら学校生活から地獄だったのです。 なにせ厳しかった。学校というより僕の担任が厳しかった。これはネット検索しても分かりません。入社したばかりで気合の入った新人だったからです。しかし、入学前に2度もオープンスクールで話をしていたんです。入学後の、あの厳しさは異常でした。その気配に気付かず想像すらしていなかった。

 

 つまるところ、儲かる業界だと親子共々信じ込み、そのうえ岡山に2校あった学校のうち、キナ臭い方へ(しかも遠い方へ)入学してしまった。 そして初日にその間違いに気付き、追って問題はより深刻であると気付いていきます。


 

不信は確信へと変わっていく。

例えばあるとき、先生が言いました。
業界は10年後に回復している。その10年後に独立して一番儲けるのは君たちだ」

そんなことを言ったんです。まったく間抜けです。だって今が悪いと認めたわけですから。しかも業界の不振を認めながら、そこへ10年腰をすえろというのです。本人ですら臨床でなく教職だというのにです。それだけではありません。

 

しまいには、集会で校長先生が挨拶しました。
「この学校は潰れません。」と。

しかも入学式で新入生に言ったんですよ。当時2年生の僕は「そんなアホな!?」と思いました。しかしながら、しかしながら、僕の想像力も相当なアホだったのです。

 

 

それでも見出した希望。


 

話を入学当初に戻しましょう。業界の不振に気付いた僕は、絶望していました。それに気付いた先生は、言いました。「本気で頑張れば業界のトップに入れるぞ。そうすれば労働時間も給料も安定している。どうだ、頑張ってみないか?」またしても、僕はその言葉を信じてしまったのです。 別に間違ってはいませんでした。確かに業界大手は安定していて、悪くないように見えた。

 

人生で最高に頑張った日々

だから頑張ったんです。めちゃくちゃ頑張った。どのくらいかといえば石膏の硬化反応式が今でも言えます。【CaSO4・1/2H2O + 3/4H2O = CaSO4・2H2O 反応熱がαで 4100cal/mol】です。 いつか僕に会ったら、聞いてください。絶対に答えられます。 つまり、今でもこんな意味のない事を覚えていますから、当時は教科書丸暗記に近い勉強をしました。 もちろん実技もあって、歯の彫刻を何十回とさせられました。これまた今でも彫刻はできます。とてもリアルに、しかも解剖学的矛盾なく、それでいて素早くできるのです。

スパルタに耐えられなかった同志

頑張るには他の理由もありました。それは一歩間違えれば転落する教育方針だったからです。どういうことかというと、例えば宿題。忘れると2倍になるんです。他にはテストの赤点、60点が赤点ですが、一度赤を取れば次の再試は80点が赤点になる。 わずかなミスが休日を圧迫するので、むしろ頑張った方が楽だったのです。 そういうわけで、僕は宿題も試験も追加になりませんでしたが、そんなスパルタ教育に同期はついて行けません。 ひとり、またひとりと退学していき、最初20人弱だったメンバーは、卒業の頃には、たしか5名に減りました。

 

 実はその5名の中に僕は入っていません。


 

学生会がなければ、僕は今ごろ技工士だったかもしれない。

頑張りまくっていた1年の終わり、学生会の役員を決めるクラス会がありました。といってもメンバーが減りすぎて、一人一役どころか兼任です。僕は一番楽な役になりたかったのに、みんなが僕を会長に推薦するんです。もちろん何度も断りました。まったくイイ迷惑です。せっかく勉強を頑張って捻出した自由時間を、ろくに意味のない活動に使うのだと思うと怒りすら感じました。 しかしながら、結果として僕が会長になりました。みんながサポートをする条件付で、僕は命令を出すだけの立場を目指しました。

 

もちろん、なってみればサポートなんて一切してくれません。みんな課題にレポートに追試、などなどで忙しいんです。 頑張った分だけ損をするとは、ふざけている。 僕はそんな風に思っていました。

 

 

みしみしと壊れかける心

そんな気持ちに追い討ちをかけるように、僕は頑張る意味を見失っていました。頑張りすぎたのです。大手に就職しても、その待遇は高卒で工場勤務についた友達と変わりません。歯科技工業界とは、それほど腐りきった業界だったのです。

 

「こんなに頑張って大手に就職しても、たかだか知れているではないか・・・いっそ、違うことで頑張りたかった」そう思うようになっていたのです。

 

上の空の毎日、なんだか疲れた勉強と学生会。

 

そして、その時は訪れます。