『ゆとり全開高校へ!校訓は「夢実現 心豊かに輝け個性」だった』

校訓は「夢実現 心豊かに輝け個性」

↑色々勘違いしていた俺

僕の通っていた高校は福祉から工業、美術、はたまた進学コースまで自由に選べる総合学科という特殊なシステムの学校でした。もちろん開校したばかりで、校訓も“夢実現~心豊かに輝け個性~”という、ゆとり世代を代表するようなフレーズでした。

基本的に1年の間に高校レベルで必要最低限の五科目を終わらせてしまい、残りの2年間は様々なジャンルから好きなものを選択するシステムでした。

魅惑の授業-アクセサリーとの出会い-

そのなかでも独自だったのは備前焼の授業で、なんと登り窯まで用意されていました。そのうえ先生は地域の有名な作家さんを招いて毎週行われ、非常に贅沢なものでした。 しかしながら、せっかくの先生のお話は半分居眠りをし、続く実技の授業では遊び程度の土いじりとなっていたのです。 少なくとも僕のクラスに真面目に取り組んでいた生徒は覚えていません。

備前焼の他にも色々と独創的で魅力的な授業がありました。なかでも大きく僕の人生に影響を与えたのは、アクセサリーを作る授業です。アクセサリーを作る授業ってどういうことか。正確には工業分野で、そのなかでも鋳造を学ぶ授業に含まれていました。鋳造というのは金属を加工する技術の中でも、融かした金属を型に流すというものです。つまり簡単にいうとアクセサリーを作る授業ということで、当時17才にしてかなり本格的に学んだのです。

あの時のスキンヘッド先生再び!

実はこの鋳造の授業の先生こそ、入学時ヤンキー風の僕を注意していた、スキンヘッドでコワモテの先生(暴力事件を起こして他校から異動させられたという噂があった)だったのです。さらに、この先生は副業禁止の公立校教師なのに、裏で作家活動をしていました。それがきっかけとなって、僕はこれから人生の恩師というべき人に出会います。その話はまた後ほど

さてスキンヘッド先生と楽しい鋳造の授業がスタートです。僕は一気にその魅力に取りつかれていきます。もう楽しくて仕方ありませんでした。 他の授業をサボってアクセサリーを作り、それだけでは飽き足らず、他の生徒がその授業を受けている時に混ざって二度目の授業を受ける事もありました。 さらには“鋳造が失敗した”という精神的ショックを理由に早退した事までありました。これには担任の先生も呆れ顔だったのを覚えています。

バカ量産で校則が厳罰化

さて、僕も含めて、だいたい考えなしに授業を選択すると、将来への危機感も焦燥感もない高校生です。楽な方へ楽な方へと選択していきます。 そうしてせっかく全国的にも希少な授業は、半ば昼寝の時間となり、ついには当時の高校の偏差値は県内公立最低レベルとなったのでした。

そんな緩みきった風紀に渇を入れるべく、新たに厳しい校則が制定されました。その名も“緑陽スタンダード”項目ごとに違反点数を付け、一定に達すると謹慎処分などの罰則が与えられるという、まるで“飲酒運転で一発免停”の道交法よろしく、それは警察の取締りのように、持ち物検査や服装頭髪検査が実施されることになります。

不純な動機で生徒会へ立候補

その当時、僕は三年生。もはやヤンキーでもなんでもなく、ただの個性的な少年になっていた僕は、生徒会に入ろうとしていました。進学に際して、不足した自己PR欄を補填する為です。このとき、スタンダードが施行されたのは追い風です。 僕は生徒副会長に立候補してスタンダードの廃止を公約に掲げました。 もちろん何人かの立候補者を押しのけ見事当選。無事に受験での自己PR材料を手に入れた僕は、その後スタンダードの廃止に尽力することもなく、そんな公約なかったかのように任期を満了したのでした。

ところで、どこに進学したのでしょうか。実はこのあと地獄のような学校生活と、人生最大の転機が訪れる「歯科技工専門学校」時代が待っているのです。