虐められっ子からの脱却を目指し高校デビュー☆ヤンキーになりきろうした3年間

↑劇的ビフォーアフター↑

僕の中学生時代はイジメられっ子でした。今思い返してみると、変な子だったんですよ。よく周りの大人たちが「変わった子ですね」と話していました。もちろん当時の僕に、自覚なんてありません。客観性がまるっきりありませんでした。

 

中学生のある時、僕は先生に「虐められている。助けてほしい」と相談しました。あの瞬間、イジメの定義が成立したように思います。 僕は困っていて、そして相談した。その事実が学校側と共有された。
先生の答えはこうでした。「分かった対応する。だけど、君は個性的だからね。」と言われました。 つまり結局のところ『お前も悪いんやで』と言いたかったのだと思います。

 

当時の僕は先生の意思は理解できずとも、どうも真摯に対応してもらえなかったような歯切れの悪さを感じていました。 同時に人生で初めて客観的な視点を意識した時かもしれません。イジメからの脱却には「僕自身が変わらなければならない!」きっと心の奥底で、そんな風に感じたのだと思います。

初めて客観的な視点を感じた中3の暮れ

では、どのように変わろうか。
『インテリ系か、さわやか系か、チャラい感じか。いや、ヤンキーになろう。』

 

・・・なんでやねんッ!!と思われるかもしれませんが、岡山にはヤンキーが多かった。全国でも岡山県の少年犯罪率はトップクラスで、さらに県内でも僕の母校、通称“キョク中”は悪名高かった。なにせ『どこへ行っても目立たせる為に、制服は緑のブレザーなのだ』というウワサまでありました。

つまりヤンキーは身近な存在だったんですね。そして当時の僕から見たヤンキーの印象というのは、なぜかモテるという事でした。 外見が良いとか、成績が良いとかいうのはモテる理由として分かりますが、低身長でヒョロっとした成績の悪そうな奴(偏見です)にも彼女がいました。
僕はイケメンにはなれないし、成績も急には上げられない。ただ不良になるのは簡単そうだ。そう思った僕は高校デビューを決意します。

 

高校デビューとは

これまた変な話ですが、高校デビューという言葉は第三者が当事者を揶揄する目的で使われるものです。「あいつは高校デビューだ」と馬鹿にするんですね。 だからデビューする方は、こっそりする。かつての知り合いができるだけ少ない地でイメージチェンジを図るものです。
僕は違いました。中学校の卒業式で宣言したんです。「私は高校デビューをし、ヤンキーになります!」と。もはや誰も馬鹿にしませんでした。揶揄する気持ちを通り越して呆れ顔だったのです。

 

高校デビュー決行の日

そうして高校の入学式、髪を染めて、制服を着崩し、いざ出陣。いわゆるこれはデビュー戦というわけであります。
今考えてみますと、なかなか生意気です。なんと言っても中学時代にヤンキーだった人ですら、高校の入学式は様子見します。 怖い先輩に目をつけられてしまって、駅の裏でボコボコにされますからね。 これが冗談でなく、そういうことが本当にときおり起きていました。表立った傷害事件という形にはなりません。やられた側か、やった側が身近にいて、ふわっと噂で知るのです。同じクラスにも「相手のピアスを引きちぎった」という人がいました。

 

今考えてみると恐ろしい。せっかく高校デビューしたのに、出鼻をくじかれてイジメられっ子に逆戻りするところでした。
もちろん何もなかった訳ではありません。入学式が終わると、スキンヘッドでコワモテの生徒指導の先生に怒られます。(この先生、暴力事件を起こして他校から異動させられたという噂がありました、実は後の恩師になります) だけど僕はヤンキーのはずですから、ペコペコ反省してはならないのです。『あぁん!?なんや!!』ぐらいの態度で臨みました。 そうして見事、母親まで叱られました。

そうして僕の新しい人生が始まります。イジメからの脱却、モテたい青春、ヤンキーとしての一歩。
爆音の単車で暴走して、深夜のコンビニに溜まり、くだらない悪さをする日常が待っているのです。